光触寺

 寺の正式名称は、岩蔵山光触寺と号し、弘安2年(西暦1279年)に創建、開基は時宗の開祖・一遍知真上人で、開山は元真言宗の僧侶だった作阿上人と伝えられています。以来、念仏道場として栄え、鎌倉三十三所観音霊場第7番札所となっています。

本堂

 開祖の一遍上人は、踊り念仏で知られ、鎌倉に光触寺のほか別願寺など7つの時宗の寺がありますが、一遍上人は生涯、寺を持とうとせず遊行に生きましたので、今日ある時宗の寺は、全て一遍上人の死後に建てられたものです。

一遍上人

 光触寺は、もともとは真言宗の寺でしたが、弘安2年(西暦1297年)に作阿上人が開山し、時宗に改めたと伝えられています。

入り口
山門

 本尊は運慶作の阿弥陀三尊像(重要文化財)で、別名、頬焼阿弥陀と呼ばれ、盗みの疑いをかけられた法師の身代わりになり、頬に焼印が残ったという話が伝えられています。

 作者の運慶は、奈良で活躍した鎌倉時代の仏師で、平安末~鎌倉期に活躍し、天才的な腕前を誇り、一時期、鎌倉武士のために仏像を手がけ、力強さと写実に特色のある鎌倉新様式を築きました。その様式は、貴族中心の平安の世の優雅端整から、武士社会である鎌倉時代の質実剛健なものになり、特に、東大寺南大門の金剛力士像などが有名です。

本堂
庭園

 本堂の脇にある塩嘗地蔵は、もともとは金沢街道の傍らにあり、六浦の塩売りが毎朝この地蔵に初穂の塩をお供えすると、帰りには無くなっていたので、地蔵がなめたのだろうということで、塩嘗の名が起こったと言われています。

塩嘗地蔵(鎌倉二十四地蔵霊場第5番札所)