白山神社は、菊理姫之命(きくりひめのみこと)を祭神とする今泉の氏神社で、もとは毘沙門堂と呼ばれた歴史の古い神社です。社伝によると源頼朝が建久2年(西暦1191年)に創建したと伝えられ、京都へ上洛の際、鞍馬寺からもらいうけ、鎌倉幕府の北の守護神としてまつられたという毘沙門天立像が納められています。
参道の最後の石段を登ったところにある大きなしめ縄は、ここに住む守護神である大百足をあらわしたものと伝えられ、毎年1月8日の大注連祭(おおしめまつり)には、毘沙門天様のお使いであるムカデ(百足)を模した注連縄を地域住民が力を合わせ作り、境内の入り口に掲げ地域の安全と豊穣を祈願するということです。
冬の寒さ厳しい早朝から、境内横の広場で世代を超えた男衆が藁からムカデの足を作り、また全長6メートルを越すムカデの胴体を作り上げます。その工程は村の古老から若い世代に受け継がれています。
のどかな山を背にした白山神社は、もとは毘沙門堂とよばれていましたが、神仏分離令によって明治以後、白山社・弁天社・八幡社を合わせて白山神社となりました。
毘沙門堂に安置されている毘沙門天像は行基の作と伝わっており、台座に「享禄5年(西暦1532年)」の修理銘があったといわれ、現在は、「宝永4年(西暦1707年)」の修理銘が見られます。毘沙門天には両脇侍立像が仕えており、共に室町時代の作とみられ、鎌倉・最古の毘沙門天といわれています。
白山神社の入り口は、禅宗「今泉寺」と一緒になっていて、脇に立つ江戸時代の狂歌師・酔亀亭天広丸(すいきていあめのひろまる)歌碑は、「くむ酒は 是(これ)風流の眼(まなこ)なり つきを見るにも 花を見るにも」と刻まれている 粋なものです。酔亀亭天広丸は本名磯崎廣吉といい、今泉に生まれた江戸中期の狂歌の達人だそうです。
参道には江戸時代の庚申塔がいくつも並んでいて、中でも寛文12年(西暦1672年)の銘がある庚申塔は、「見ざる言わざる聞かざる」 の三猿が彫られています。庚申信仰は、平安時代に始まり江戸時代に盛んになり、「人間の体内には三しという虫がいて、60日、60年ごとに廻ってくる 庚申の夜、寝ている体を抜出し神に悪口を告げる」と信じられていました。