妙隆寺は小町大路の日蓮辻説法跡近くにある日蓮宗のお寺です。小町大路から少し奥まったところに山門があり、正面の本堂左に庫裏そして本堂手前の右側に寿老人が祀られています。
正式名称は叡昌山妙隆寺といい、至徳2年(西暦1385年)源頼朝の御家人、千葉常胤の子孫である胤貞が千葉の本領へ移るに及んで、その屋敷跡に、妙親院日英上人を開山として建立されました。
開山第二祖の日親上人は、凄絶な布教ぶりで知られる僧で、応永34年(西暦1427年)の冬、「大法弘通に耐え得るや否や自らの忍力を試さん」と堂前の池で寒百日間水行され、日課として自我偈巻、お題目千遍の修行した後、京へ上り、立正冶国論の一書を献じて、6代将軍・足利義教の政道を諌めようとしました。
しかし、逆に義教の逆鱗に触れて捕らえられ、水、火、湯鑵(熱湯ぜめ)など数々の拷問や舌端を切られ、焼き鍋をかぶせられる極刑を受けましたが、頑として自説を曲げなかったといいます。そのため、後に「鍋かむり日親様」の名で呼ばれるようになりました。
本堂は公開されていませんが、本尊は日蓮聖人坐像、ほかに釈迦如来立像、子育て鬼子母神などが祀られています。境内には、本堂の手前、向かって右手に、鎌倉江の島七福神巡りの一つの寿老人を祀る祠があり、奥には、日親上人が寒中百日間水を浴びたという「日親上人行法御池の霊跡」があります。
さらにその先、本堂の右脇には昭和20年(西暦1945年)広島で被爆し死亡した新劇俳優の丸山定夫のお墓があります。墓には丸山定夫が演じるモリエールの「守銭奴」が刻まれています。