上行寺

 寺の正式名称は、法久山大前院上行寺と号し、日蓮上人の孫弟子にあたる日範上人を開山として正和2年(西暦1313年)に創建、「身がわり鬼子母神」「薬師瘡守稲荷(かさもりいなり)」「癌除」「水子供養」の寺として知られています。将軍源頼朝ができものを患ったとき、北条政子が平癒するよう祈祷を依頼したとかで、その後も、北条氏の祈祷所として栄えたそうです。現在の本堂は、明治19年(西暦1886年)に松葉が谷にある妙法寺の法華堂を移築したものです。

山門

 本堂左手には万延元年 (西暦1860年)、桜田門外で大老井伊直弼の襲撃に加った水戸浪士広木松之介の碑があります。広木松之介は、井伊大老襲撃の後、鎌倉まで逃れてきましたが、同志の悉くが命を絶ったことを知り、自害して果てたそうです。

 境内右手の本堂には、瘡守稲荷と鬼子母神が祀られ、「薬王経石(やくおうきょうせき)」という大きな黒い石が置かれています。この石は、当病平癒や悪病除、苦しみや心の安らぎにご利益があるそうで、薬石で患部をさすることで痛みや苦しみが楽になるとのことです。主に天然痘や疱瘡等のいわゆる「できもの」を治癒してくれるということで「瘡守」と名が付いていますが、現代では「できもの」の一つである癌をはじめ難病にも霊験あらたかだとのことでお参りする信者の方も多いようです。

薬師堂

 山門の裏側には日光東照宮の「眠り猫」の作者といわれる名工・左甚五郎の作と伝えられる龍の彫刻があり、法華堂には、まるでディズニーの世界のようなファンタジックな色彩の七福神が祀られています。

 左甚五郎は、江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、甚五郎作の作品と称されるものは、栃木県日光市日光東照宮「眠り猫」、京都府八幡石清水八幡宮「目貫きの猿」福井県鯖江市誠照寺「駆け出しの龍」など、北は青森県八戸市の櫛引八幡宮から、南は福岡市の筥崎宮楼門まで、全国100ヶ所近く確認され、制作年代も、安土桃山時代から江戸時代後期まで、300年に及んでいるといいます。

祖師堂