薬王寺

 正式の名称は、日蓮宗大乗山薬王寺。もともとは真言宗に属し、梅領山夜光寺と称していましたが、永仁元年(西暦1293年)に肥後阿闍梨日像上人が改宗して、法華経受持の寺院となり、大乗院日達上人が寛永年間(西暦1624年~1643年)に再興し興隆を迎えました。

本堂

 日達上人は、広島の本山国前寺の住職でありましたが、徳川が禁止した不受不施説を唱えた為に、幕府の忌避にふれ、寺を追われて各地を行脚しつつ、九ヶ寺建立し、衰微していた三ヶ寺を復興した信行兼備の高僧でした。当山はその中の一ヶ寺で、七堂伽藍完備の立派な寺院を完成した中興の祖です。

 今の本堂は享保年間(西暦1716年~1735年)の再建で、庭先には駿河大納言徳川忠長の供養塔があります。建立したのは織田信長の嫡子信雄の息女で、徳川忠長の夫人です。

釈迦堂
鐘楼

 本堂の日蓮聖人坐像は、当初、東京の鼠山感応寺に奉安されていましたが、天保12年(西暦1841年)家斉が死去すると、老中水野忠邦の天保の改革によって、感応寺は廃寺となり、その後、池上本門寺、牛込築土八幡の万昌院、成子の常円寺、比企ヶ谷妙本寺を経て、この薬王寺に感得奉安され、現在に至っています。徳川家斉の命で制作されたこの「宗祖尊像」 は、裸像で乳首なども彫られ、また、口を大きく開いて説法されている様子はリアルで、6月と10月の更衣式で法衣を着替えます。

 本堂裏の山すそに”やぐら”があり、前面中央に「釈迦如来」左右に「四菩薩」が安置されています。

釈迦如来

 本堂の裏手の山腹には、会津若松蒲生氏郷の孫忠知(四国松山城主)の奥方と息女の寶筐印塔の墓があり、徳川・蒲生両家のゆかりの寺として、寺紋に三葉葵が用いることが許されている格式の高い由緒あるお寺です。

 薬王寺は、北鎌倉駅で横須賀線を降り、亀ヶ谷切通を抜けて、多角形をした岩舟地蔵堂の手前に日蓮宗薬王寺と書かれた入口があります。

 鎌倉駅西口から横須賀線沿いに、今小路を寿福寺・英勝寺方向へ歩き横須賀線のガードをくぐり岩船地蔵堂を左手にみて進む。

標識
参道入り口の門前法界塔

引用:鎌倉のお寺さん(27)