正式名称は南向山帰命院補陀洛寺と号し、古義真言宗のお寺です。元は京都仁和寺末(新編鎌倉志)に連なっていましたが、後に青蓮寺末(関東古義真言宗本末帳)となり、現在は京都大覚寺末寺となっています。開山は頼朝に挙兵をすすめた文覚上人、開基は源頼朝と伝えられており、後、鶴岡供僧頼基が中興したといわれています。現在の本尊は十一面観音ですが、元の本尊は薬師如来であったそうです。
明治初年の火災で殆ど烏有に帰しましたが、その時、誰も出した覚えがないのに、仏像類は全部無事であったといいます。現在の本堂は関東大震災で全壊した後、大正13年(西暦1924年)春に建立されたものです。
補陀洛寺は頼朝の祈願所として、養和元年(西暦1181年)に創建したと伝えられています。頼朝はもともと観音信仰が強い人で、前年に鎌倉に入り、鎌倉の南に位置するこの地に観世音菩薩を祀ったのではないかと推測されています。
寺名「補陀洛(ふだらか)」はサンスクリット語の「ポータラカ」に由来し、はるかな南の海にあると信じられた「観音浄土」を意味します。
昔は七堂伽藍をもつ大きな寺院で、境内も一キロ四方あったそうで海が望め、由比ガ浜で発生した竜巻がこのあたりを通り、たびたび大きな被害をうけ「竜巻寺」ともいわれています。
正面中央にご本尊「十一面観音菩薩」(平安末期の作で創建当時のものか?)。 時代によって「薬師如来」が本尊のときもあったらしいがはっきりしない。ご本尊左に日光菩薩、月光菩薩を配した薬師如来像(薬師三尊)。さらに、地蔵菩薩、弘法大師像、愛染明王。ご本尊右に不動明王(二体)、千手観音、弘法大師像、毘沙門天、などが安置されている。
寺に伝わるものとして、本尊の十一面観音や頼朝にゆかりの物が多く、中でも珍しいのが、平家の赤旗で、平家の総大将平宗盛が最後まで持っていたものだといわれ、頼朝がこの寺に奉納したといわれています。 平家の赤旗は、70センチ×40センチ角の大きさで「九万八千軍神」の文字が読め、伝えによると書かれている文字は平清盛の手によるものではないかといわれています。