妙法寺

 日蓮聖人が鎌倉の松葉ヶ谷にきて、はじめて草庵を結んだといわれているところの一つです。鎌倉での布教の拠点となったため、反感を持つ武士や僧らによって文応元年(西暦1260年)に焼き討ちされています。

本堂

 草庵跡には、この妙法寺の前身、日蓮聖人を開山とする法華堂が建っていました。法華堂はなかなかの寺格だったようで、鎌倉幕府崩壊当時の四世日静上人の父は上杉頼重、母は足利氏の女、または足利尊氏の母方の叔父と伝えられています。

 しかし、元弘3年(西暦1333年)に鎌倉幕府が崩壊すると、庇護者の足利尊氏は、足利一族の京都転進にあわせ、延文2年(西暦1357 年)に六条楊梅に広大な寺域を得て、鎌倉から法華堂を移転させ、大光山本圀寺と号しました。

 その後、松葉ケ谷の跡地には、護良親王の遺子日叡上人によって、延文2年(西暦1357年)に堂塔伽藍が復興され、幼名・楞厳丸にちなんで、楞厳山妙法寺と称し、山頂に父母の供養塔が建てられました。

入り口
山門
本堂
庭園
庭園

 境内には美しい苔の石段があることから、「苔寺」ともいわれています。磨り減った石段がみどり色の苔で覆われて、地形のせいか、光線の具合か、なんともいえない美しさです。法華堂には、日叡上人作といわれる厄除祖師像が安置されています。