来迎寺 (西御門)
鎌倉には来迎寺という名前の寺は二つあります。材木座にある真言宗能蔵寺跡と、西御門にある時宗の寺で、ここでご紹介する寺は、西御門にある来迎寺です。
満光山来迎寺は鎌倉時代、西御門に建てられた多くの寺のなかで唯一残っている寺で、時宗の開祖である一遍上人が永仁元年(西暦1293年)に建立した寺と云われています。しかし、一向上人とも云われており、寺史には不明な点が多くあります。
西御門の地名は、鎌倉時代初期、鎌倉幕府の重臣が邸を構えた大蔵幕府や頼朝が葬られた法華堂の西にあったため名付けられたと云われています。
来迎寺の登り口には鎌倉尼五山の第一位太平寺跡の碑が建っています。鎌倉尼五山とは、第一位が西御門の太平寺、続いて東慶寺、国恩寺(山ノ内東慶寺門前地)、護法寺(荏柄天神傍)、禅明寺(報国寺付近か衣張山付近)ですが、第二位の東慶寺を除いて四山すべてが廃寺となり、護法寺・禅明寺については位置すら明確ではありません。こうした中、円覚寺の舎利殿が廃寺で尼五山第一位の格式を持つ太平寺の仏殿であったことが分かるなど、近年、徐々にではありますが研究が進んできています。
本堂内には、如意輪観音像、地蔵菩薩像、抜陀婆羅尊者像の3つの有名な彫刻があり、如意輪観音像は光福寺、法華堂、さらに来迎寺と転々と移された仏像です。半跏の姿勢で6 本の手をもち、温和な表情に複雑な衣文など南北朝期の特色をもつ仏像で、土紋装飾があります。地蔵菩薩像は、衣の裾が台座に垂れる写実的な宋風様式で、高僧の肖像を思わせる作風です。また、この仏像は南北朝期に開山し現在は廃寺となった、西御門の報恩寺の本尊であったと考えられています。
抜陀婆羅尊者像は、報恩寺(廃寺)にあったもので、この仏像に祈ると足腰の痛みが去るといわれています。