山号は功臣山(こうしんざん)、臨済宗建長寺派の禅宗寺院です。開基は足利家時、開山が天岸慧広(てんがんえこう、佛乗禅師)で、建武元年(西暦1334年)の創建と伝えられていますが、上杉重兼の開基という説もあります。
報国寺は、鎌倉駅から徒歩で25分、または、鎌倉駅から十二所方面行きの京急バスに乗り、浄明寺で下車するとすぐのところにあります。ちょっと交通の便は悪いですが、本堂の裏手には見事な竹林があり「竹の寺」として有名で、時間をかけてでも行く価値は十分にあると思います。
山門をくぐり右側の石段を登ると、本尊の釈迦如来坐像(市重文)が祀られている本堂があり、本堂の右手に迦葉堂(かしょうどう)、左手にはかやぶきの鐘楼があります。お寺には数多くの文化財がありますが、殆どは現在、鎌倉国宝館に保管されています。山門から本堂までは石庭を配した参道が続き、本堂の裏手には池を配した庭園と、休耕庵跡があり、ここは佛乗禅師が修行や詩作を行った場所で、今は有名な竹の庭となっています。さらに、裏山には足利一族の墓とされる大きなやぐらがあります。
報国寺については、永享10年(西暦1437年)から翌年にかけて起きた永享の乱で、敗退した関東公方足利持氏が、永安寺で自刃した時、長子の義久がこの寺に入って自刃したという話が残っています。
永享の乱は、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の対立に際し、室町幕府6代将軍義教が、篠川御所の足利満直や駿河国の守護今川範忠に憲実の救援を命じ、さらに上杉持房、上杉教朝ら幕軍を派遣し持氏を誅した事件です。