成福寺は、亀甲山法得院成福寺と号し、浄土真宗京都西六条本願寺の末寺で、貞永元年(西暦1232年)に創建されました。開基は、鎌倉幕府三代執権北条泰時の子泰次で、幼少より仏教を学び、得度して沙門院泰次入道と号し、天台宗の僧として裏山の「亀の窟(かめのいわや)」で修行していましたが、浄土真宗の開祖親鸞に会い、教えを受け弟子となり成仏の名を受け、貞永元年(西暦1232年)寺を浄土真宗に改宗しました。寺宝の聖徳太子木像は師の親鸞から贈られたものです。その後鎌倉幕府が滅亡し、北条高時の弟の四代住職成円は追放され、以後室町時代までの70余年無住でした。又、戦国時代終わり(西暦1550年頃)に、小田原北条の奉行衆に焼き討ちされ、時の九代住職宗全は伊豆にのがれ、その地に成福寺を建て、慶長17年(西暦1612年)十一代西休の時に再びこの地に戻ってくるという法難に遭っています。
御本尊は阿弥陀如来立像です。その右手に寺宝の聖徳太子像(鎌倉市重要文化財)が祀られています。また、木造虚空像菩薩座像は室町時代のものといわれ、この像のお腹には昔の人が供養やお祈りのために納めた仏像や子犬の彫り物、文書等が収められています。