称名寺

 称名寺は今泉山一心院称名寺と号し、浄土宗のお寺で、芝増上寺の末寺です。開山は空海と伝えられていますが、現在のお寺は十七世紀末の建立で、直誉蓮入 により再興されました。

本堂

 称名寺は、一般には今泉不動として知られ、天園ハイキングコースの北側に在ります。JR大船駅から「鎌倉湖畔」行きバスで「今泉不動」下車徒歩5分です。

 境内は、入り口のすぐ左手に六地蔵が並び、次いで庫裏、本堂と続きます。本尊は阿弥陀如来で、観音菩薩と勢至菩薩を脇に、さらに楽器を持つ二十五菩薩を従えたもので、紫雲に乗り極楽浄土に迎える来迎の姿を立体的にあらわしたもので、窓越したに拝観できます。その先は弁天堂でさらに石段を左へと登ると「元不動」とか「今泉不動」とよばれる不動堂があります。本堂にもどって、下へ降りてゆくと、鬱蒼とした木々の間に男滝・女滝と呼ばれる二本の滝があり、鎌倉のお寺の中でも、最も自然が溢れた場所の一つと思います。

六地蔵
庫裡

 今泉不動の草創は弘仁9年(西暦818年)頃で、弘法大師が金剛峰寺を開いてから2年後と伝えられています。弘法大師が諸国巡行のおり鎌倉に至った際、紫雲に包まれ光明のさす山に出会い人伝えに神仙の棲む金仙山と云うことを知ったそうです。大師がこの山に踏み入ると忽然として翁・媼が現れ、「我等は此の山に数千年住み大師の来るのを待っていた。此の山は二つとない霊地である。速やかに不動明王の像を刻み、密教道場の壇を築き末世の衆生を救いなさい」と告げたと云います。また、この翁・媼は「此の地は水が乏しい。村里も困っているから豊かな水を進ぜよう」と傍の岩を穿ち陰陽の滝をながし村里に恩恵を与え、以後金仙山を改め今泉山と称することとなったそうです。この翁は不動明王の化身で、また媼は弁財天の生まれ代わりと伝えられています。

 称名寺は当初、不動堂の別当で円宗寺と称していたが、建久3年(西暦1192年)鎌倉幕府創設年に寂心法師が寺を開き、密教に属していました。頼朝も深く信仰していたといわれています。その後、北条九代に至った貞享2年(西暦1684年)の夏、武州深川の僧・直誉蓮入師が江ノ島弁財天のお告げで、この山に七日独座念仏し、まもなく不動堂・阿陀堂を建立したそうです。江戸時代に入り、元禄6年(西暦1693年)芝の増上寺・貞誉大僧正より「今泉山一心院称名寺」の山号寺号を請け、現在に至っています。

不動堂

引用:鎌倉のお寺さん(15)